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ライトノベルを中心に活動中の作家、空埜一樹のブログです

曖昧ゲームコラム8:ファイナルファンタジーⅤ

ファイナルファンタジー

発売日時:1992年12月6日
発売元:スクウェア(現スクウェア・エニックス)
対応機種:スーパーファミコン

 

セーブする、という言葉は、主に何かを抑制する時に用いられることが多い。
だが、ことゲーム、特にRPGにおいては、データを記録するという意味をもつ。

最初期こそ、例えばドラクエでなら「ふっかつのじゅもん」というシステムがあった。
プレイヤーは王様から教えられた文字列を入力することで、前回までの冒険を引き継ぐ形でゲームを再開することが出来たのだ。
しかし「ふっかつのじゅもん」はあまりに並びが無造作であり、長いので、とても覚えきれるものではない。
そこでプレイヤーは文字をノートに書き写すわけだが、人間のやることだからミスもあった。
誤字や脱字のせいでゲーム側に受け付けてもらえず、数時間や下手すれば数十時間が泡となる惨たらしい瞬間を、ぼくは何度か見てきたものだ。
しかし時代が変わるにつれ、少しずつセーブの仕方も変わってくる。
ドラクエは教会で冒険の書をつけるだけで良くなったし、他のゲームの中には、はっきりとメニュー画面に「セーブ」という項目が出現するものもあった。それを押すだけで、現在のデータが正確に記録されるのである。

というわけで今回は、セーブ機能が当たり前につくようになってからしばらく経った頃のソフト、ファイナルファンタジーⅤの話だ。
ファイナルファンタジーは、ドラクエと並んで知られている超人気RPGである。
その程は、世に「ファイナルファンタジー派」と「ドラゴンクエスト派」という二つの相容れない派閥を作り上げてしまうほどだった。
ちなみにぼくはどちらも好きなので両陣営には属していない。言うなれば双方をさ迷いながら流れるように生きる、スナフキンのような立場である。

ちなみにドラゴンクエストを「ドラクエ」と呼ぶように、ファイナルファンタジーにも略し方がある。
一般的には「FF(エフエフ)」のようだが、ぼくが子供の頃、何故か周りの奴らは全員揃って「ファイファン」と言っていた。
でも、当時は当たり前のように使っていたが、ネットが発達するにつれ、それが極めて地方性の強いものであることが分かってくる。
大体の人が「FF」であり、それ以外に呼んだことはないというのだ。
あまつさえ「ファイファン〜?」と語尾を高くし、小馬鹿にするような態度を見せる奴まで出てくる始末である。
なんだか子供時代の青春さえ嘲られた気がして、腹立たしいことこの上なかった。(まあ、ぼくも今ではFFって言ってるのだけど。大人になると言うことは、周囲に色を合わせることでもあるのだ)

で、ファイナルファンタジーⅤはぼくが初めてプレイした『ファイファン』のシリーズである。
主人公は、ひょんなことから世界の理を司る石「クリスタル」をめぐる冒険に出ることとなる。
Ⅴのシステムとして斬新なものと言えば、まず「ジョブ」が上げられるだろう。
ジョブとは直訳すると「仕事」、つまりはキャラクターを色んな職業に転職させることが出来るのだ。
種類は騎士や魔道士、武道家に盗賊などオーソドックスなものから、侍や忍者にものまねし等の一風変わったものまで様々ある。
ただ、その中でも一番強いのは、各キャラが最初からついている「すっぴん」であるという話があった。
すっぴんは特別な能力などはないが、全ての武器を装備できる。
加えてFFⅤのジョブには「アビリティ」という項目があった。これはいわゆる職業固有のスキルのことを指すのだが、ある程度まで鍛えると、他に転職してもそれを付け替えることが可能なのだ。
例えば魔道士で魔法のアビリティを覚えた後で、騎士に転職すると、魔法を使える騎士が誕生すると言うわけである。
このアビリティを、全ての武器や防具を装備できるすっぴんにつけると、やりようによっては確かに無敵に近いものとなる。
ただしその為には、あらゆる職業をマスターしまくらなければならない。
もちろん並大抵のことではなく、多大な時間と労力を必要とすることだった。
しかし、ぼくは友達がそれをやり遂げたのを見て、猛烈に対抗心を焚きつけられることとなる。
それからしばらくの間、学校から帰るなりスーパーファミコンを立ち上げ、ひたすらにFFⅤでジョブを一つずつ極め続けることになった。
あの時の執念を別の方向に活かしていたら、今頃それなりに良い暮らしのできる立場にいたのかもしれない。が、今更言っても詮無いことだ。多分、人生を何回やり直してもぼくは同じことをする。理由は一つ。勉強はつまらなく、ゲームは楽しい。そういうことだ。
まあ、その楽しいを追求していった結果、今の明日ともしれない身の上があるわけだが、その辺に関しては盛大に目を逸らそう。
とにかくひたすらにプレイに没頭した結果、ぼくはついに全てのジョブをマスターランク(限界まで極めた証)にすることが出来た。
これで最強のすっぴんが誕生するわけである。
どうでもいいがあらゆる職業の中ですっぴん、つまりは無職が強いというのは何とも皮肉な話である。人間、やはり、失う物のない奴が最も恐れなく人生を送れるのかもしれない。
しかしその時のぼくはもちろんそんな汚れた考えを持っているわけもなく、ただ己の偉業に感動しつつ、セーブしてゲームを一旦終了した。

そして、問題は次の日に起こった。
いつものようにスーファミを起動し、昨日のデータを引き継ごうとした時のことだ。今日こそはすっぴんに厳選したアビリティをつけて楽しもう、そんなことを思っていた。
のに、無かった。
あれほど苦労したセーブデータが。
どこにも存在していなかったのだ。
今の若い人には分かり辛いかもしれないが、昔のゲームはソフト内に記録を保存していたので、物が当たったとか、指で動かしたとか、ちょっとしたことでセーブデータが消えることは割とあったのだ。
現実が信じられず、ぼくは何度もゲームを注視した。
だがやはり、そこには何も無い。
十数時間あまりが、泡沫のように消えた瞬間である。
その時のショックは計り知れなかった。
人間、本当に絶望した時は叫びすら上がらないというが、正にその通りだ。
ぼくは床に突っ伏し、ただ、ただ、その状態でじっとするばかりだった。
なぜ。
神はなぜこのような試練をお与えになられるのか。
別に何も信仰しているわけではなかったが、本当にそう思った。
何かも嫌になり、学校も楽しみにしていたアニメも漫画も全部どうでもよくなった。
もうどうにでもすればいい。
ぼくには何も残されてはいないのだ。
そんな、まるで財産や家族を全て奪われたかのような、超投げやりな気分になっていた。
しかし、希望というものはどこからやってくるか分からない。
その後、たまたま遊びにきていた友達が、奇跡を見せてくれた。
ぼくからセーブデータが消えたことを聞くと、彼は「ああ、ほんならこうしたらええねん」といきなりスーファミの電源スイッチを切った。
そして、ソフトを前後に軽く揺すった後、何度かスイッチを入れたり切ったりして、最後に再び起動したのである。
何やってんだこいつ、と死んだ魚のような目で見ていたぼくだったが、次の瞬間、仰天した。
セーブデータが復活していたのだ。
「な、なんで?! どういうこと?!」
と勢い込んで尋ねたぼくに、友達は笑顔で答えた。

「知らん」

未だに友達がどうやってあの強引なデータ復旧を成し遂げたのか謎でしかない。
セーブに翻弄されたRPG好きの、懐かしい人生の一コマであった。

 

終わり

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